.メインメニュー

.リンク集

.
投稿者: webmaster 投稿日時: 2008-4-15 11:31:30 (1723 ヒット)

「医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案−第三次試案−」に対する意見について

はじめに
わたしは一医療者として第一次の試案の折にパブコメとして意見を提出した。
http://www.docportal.jp/modules/news/article.php?storyid=19
その際の肝としては、医師法21条の改正、憲法38条に抵触しないようにすべきこと、院内
当事者同士が合意解決できやすいシステムとすること、合意解決に至らない場合に調査およびADRなどを利用すべきこと、財政面などリアリティのある手当を行なうこと、AIも導入して人材面でも確保可能なものとすること、原因究明は個人の責任追及を目的とするのではなく再発防止とすること、などである。
第一回パブコメ募集から丸1年を経て議論が続けられ、この度の第3次試案では上記に照らしてみると、医師法21条の改正、憲法38条への配慮(これは本組織の限界を示している裏返しであるが)、現場でのメディエーターの重要性やADRについてもコメントされ、AIについても検討するとするなど一定の評価の出来る内容にはなってきていると思われる。厚労省担当官ならびに検討委員の先生方に敬意を表したい。
繰り返しになるが、いわゆる医療事故(過失の有無にかかわらず)は医療紛争、訴訟のおおきな要因であり、その解決に対して裁判などの法的な方法の有効性が極めて小さいばかりか、再発防止に資することもなく、当事者双方および社会にとってもなんらの益をもたらさないという深い反省にたって、裁判外の第三者機関のような紛争解決システムと原因究明・再発予防システムが必要であることを医療者も含めて社会全体が認識していることがこの度の議論の前提であると考えており、異論もない。
その上で、以下に、そのようなシステムがよりよい形になるために医療者としてクリティカルな意見を申し上げるが、決して揚げ足取りではないことをお断りしておく。十分に時間をかけて詰めるべき事はとことん詰める必要があり、それが医療者の責務と考えるからである。全員一致で賛成とか反対とか、そういった性質のものではなく、意見提出の機会が与えられているのだから、よいところを評価し問題点を指摘することが重要であると考える。もちろん、拙速に創設することは害でしかない。
1.
(1)〜(5)
[医療の安全の確保は、我が国の医療政策上の重要課題]
[原因を究明し再発防止を図ることは、国民の切なる願い]

#現状では医療従事者であっても医療安全調査委員会(以下、事故調)の創設についての議論がなされていることすら知らないものも数多い。一般市民はほとんど知らないと思われる。国民的な規模の大きな議論が必要と考える。


[診療行為とは、人体に対する侵襲を前提とし一定の危険性が伴う]
[死亡等の不幸な帰結につながる場合があり得る]

#安心安全神話の社会にあって「医療の不確実性」についても認識を深めるためにも国民的な規模の大きな議論が必要と考える。安心は主観であり、安全は相対的な状態であり、相矛盾することも多い事象である。医療分野に関わらず、安心安全についての問題についての新たな知恵を得ることが出来る可能性がある。

[死因の調査や臨床経過の分析・評価等については、これまで行政における対応が必ずしも十分ではなく]
[新しい仕組みの構築は、医療の透明性の確保や医療に対する国民の信頼の回復につながるとともに、医師等が萎縮することなく医療を行える環境の整備にも資する]

#原因究明・再発予防の点とあわせて詳細は後述するが、行政の対応に期待するのは現場にとってリアリティのある施策である。通達一本で現場が混乱をきたすような現状にあっては申し上げにくいことではあるが行政そのものを医療者も国民も信頼できない。最新の内閣府の世論調査でも主な10業種において医療における国民の信頼度は1位であり、残念ながら官僚は最下位である。一部信頼関係にほころびが生じているとはいえ、「信頼回復」すべきは行政であり、医療界は「今ある信頼の更なる向上」ということになる。その意味でも、いままで十分な対応ができず、国民からの信頼の低い行政が国民からの信頼の高い医療についてのさらなる信頼向上に向けた有効な施策を実施できるのかという疑問が残らざるを得ない。先般の調査では、確かに「透明性を期待する分野」として医療は上位にランクされており、更なる医療現場の努力も必要ではある。
また、第3次試案について各種メディアでは「医療界の一部に反発あり、刑事介入に配慮」などの見出しが躍っていたが、医療者が萎縮している理由は医学的にも、また、国際的な先進各国の法に照らしても不当で恣意的といわざるを得ない刑事介入や民事での判決がしばしば認められるためであり、刑事介入が必要な故意犯などの事件性のあるものに対して正しく介入することをなんら恐れる必要はない。われわれ医療者は知識と技術と良心をもって業務を遂行するだけであって、刑事介入に対して「謙抑的にお願いします」というような後暗い職種にいったいいつからなってしまったのかというのが率直な思いである。通常業務を誠実にこなしているだけであるにも関わらず、刑事介入に対して実感としてこれほど萎縮している業種はほかに思い浮かばない。現場にとって不当と判断される介入があれば、たとえ行政介入に変わろうとも同じことであるから行政は現場が萎縮する理由を正しく認識する必要がある。つまりは、司法と行政のリアリティの欠如が萎縮医療の大きな原因といえる。

以上は総論的なところであるが、次に各論部分についてコメントする。

2.
委員会の設置
[(7)責任追及を目的としたものではない]

#運営上の機能と効能を期待しているようだが、調査結果を証拠として利用することが可能とされ、従来の刑事・民事に関しては実質的には特に影響がないため、結果として行政処分が拡大することに加えて従来の裁判による処理も同時に行われ、仮に刑事介入が謙抑的に行われたとしても民事訴訟の増加を誘発する可能性が高い。

[(8)医療事故に関する調査権限と医師等に対する処分権限を分離すべきとの意見も踏まえ、今後更に検討]

#もちろん、調査と処分は分離すべきである。すでに多くの指摘がなされているが、調査権限と処分権限を併せ持つことは医療の統制につながり、今以上の萎縮医療を招く危険性が高い。

(10)〜(15)
[調査チームのメンバーは、臨床医を中心として構成し、モデル事業の解剖担当医2 名、臨床医等5〜6 名、法律家やその他の有識者1〜2 名という構成を参考とする。]
[調査チームは、関係者からの意見や解剖の結果に基づいて、臨床経過の評価等についてチームとして議論を行い、調査報告書案を作成]

#モデル事業において2007年7月9日現在56件を受理しており、東京地域の受理件数が31件に登っている。もともとモデル事業が可能な比較的上記の医師集団が形成しやすい地域で行われているにもかかわらず、それでも東京地域に一極集中していることを考えると、人的な供出は地方にとっては不可能に近いであろうし、法律となり強制的に供出されることになると、医師不足の地方の現状に輪をかけることとなる。また、モデル事業に参加していた医師や看護師のとあるシンポジウムでの発言では、その実情はほとんど本業をやりながらの手弁当であり、しかも多くの時間が調査報告書作成までに必要であり、受理したご家族にも調査報告書に基づき説明会が行われるまで6ヶ月から10ヶ月の期間が必要と説明されている。ほとんど周知されていないモデル事業において、比較的人材が供出できる地域であって、なお、このような状態であることから、地方においては事故調に対しての届出件数が飛躍的に増大した場合、仮に予算的な手当てがついたとしても人材供出の面での実行可能性に大いに疑問が残る。ご遺族に1年以上待たせることが常態化することが想定され、事故調には行列ができる一方で、旧来の解決法にまったく制約がないことからしても平行して民事訴訟を行うなどの事例の増加が見込まれる。モデル事業を参考にして地方に仕組みを持ち込めば、マンパワーの面からも医療崩壊を加速させるといえる。

「中央に設置する委員会、地方委員会及び調査チームは、いずれも、医療の専門家(解剖担当医(病理医や法医)や臨床医、医師以外の医療関係者(例えば、歯科医師・薬剤師・看護師))を中心に、法律関係者及びその他の有識者(医療を受ける立場を代表する者等)の参画を得て構成することとする。」
「調査対象となる個別事例の関係者は、地方委員会による調査に従事させないこととする。なお、委員会が適切に機能するためには、何よりも国民の信頼を得るものでなければならず、委員には中立性と高い倫理観が求められる。」

#中央に設置する委員会には現場の臨床医が参加することは期待しがたく、現場の声が反映しにくい仕組みとなる。法律関係者の参加は過失責任の構成要件を検討するなど法的責任を問うためにおかれていると理解するのが自然であり、結果、その目的に反して責任追及の機能を持つこととなる。
また、モデル事業をたたきにしているとのことであるが、2007年8月5日に行われたとあるシンポジウムでの発表では、モデル事業に参加したご遺族の半数以上が、医療評価や死因説明には満足しているものの、病院の信頼回復はないと答え、遺族の話を聞くべきとしている。これは、調査対象となる個別事例の関係者をはずすことが両者の信頼回復に役立たないことを示している。本来、当事者同士の対話で解決を図るのが筋であり、必要な場合にのみ第三者の介入があればいいはずである。当事者が誠意を持って調査説明することで、何があったか知りたいというご遺族の気持ちが、「誠意を持って説明されたという事実」によってのみ認知変容を来たし、もって信頼回復と事態の解決に向かう一歩が踏み出せるのである。

医療死亡事故の届出
(16)〜(24)
#いまだ、当初からの問題であった医療関連死の定義が不明確であり、また、明確にすることが可能な類のものでもない。


「明らかに誤った医療行為に起因して患者が死亡した事例(その行った医療に起因すると疑われるものを含む。)であり、例えば、塩化カリウムの急速な静脈内への投与による死亡や、消毒薬の静脈内への誤注入による死亡等が想定」

#これらはすべてテクノロジーとシステムの改善に投資すれば解決可能な問題であり、システムエラーである。最終行為者のナースなどにしわ寄せがくるのは問題である。また、「重大な過失」を結果の重大性を問うものではないとしているということからも、上記の例とヒヤリハット事例では、結果の重大性以外に違いは見当たらず、矛盾した例示と言わざるを得ない。

「誤った医療を行ったことは明らかではないが、行った医療に起因して患者が死亡した事例(行った医療に起因すると疑われるものを含む。)であって、死亡を予期しなかったものである。例えば、ある診療行為を実施することに伴い一定の確率で発生する事象(いわゆる合併症)としては医学的に合理的な説明ができない予期しない死亡やその疑いのあるものが想定」

#死亡事故など重大な事態ほど発生確率は低く、薬剤であれば効能書きの重大な副作用欄には「発生率は不詳」とされていることが多い。治療行為を行う以上、最悪の可能性を想定しない医療者はおらず、その意味では死亡はすべて予期しているともいえるが、高い可能性としては想定していないということはありえる。そのあたりが「予期していた云々」の不明確性であり、また、起こった事態にいかに対処したかということでしか、判断のしようがない。しかも、急速に死亡へいたるような場合には、プロフェッショナルとしての医療者が瞬時に判断して行なう行為はほとんど一意に決まることが多く、その違いは誤差範囲であり、事態の変化や推移は患者さん自身の生物学的な多様性、固有性に追うところが大きい。にもかかわらず、「予期しない死亡およびその疑いがあるもの」とすれば、院内死亡の半数以上の届出があっても不思議ではない。

遺族からの地方委員会への調査依頼
(25)(26)
「遺族が原因究明を求める場合は、地方委員会による調査を大臣に依頼することができるものとする。」
「委員会の役割や相談方法について、国は広く国民に周知する。」

#医療という情報の非対称の中にあって、医療サイドが合理的に死因を説明できたとしても、より中立性がたかいと謳われた委員会の存在が周知された場合、病院に不信がなくてもご遺族にとっては不慮の死という事態には変わりがないことからして、死のセカンドオピニオンとでもいうべき依頼が増大することが予想される。調査報告書が作られ、手渡され、それが再発防止に役立つとされて周知されるわけであるからなおさらである。今まで問題のなかった医学的に合理的な説明のつく死亡例までもが調査委員会の調査対象となる。

地方委員会による調査
(27)〜(31)
「解剖担当医や臨床医、法律家等からなる調査チームが、死因、死亡等に至る臨床経過、診療行為の内容や背景要因、再発防止策等についての評価・検討を行い、調査報告書案をとりまとめる。」
「また、評価を行う際には、事案発生時点の状況下を考慮した医学的評価を行う。(再発防止に向けて臨床経過を振り返って今後の医療の安全の向上のために取り得る方策について提案する場合は、その旨を明記した上で記載する。)」
「地方委員会は調査報告書を遺族及び医療機関に交付し、併せて再発防止の観点から、個人情報等の保護に配慮しつつ、公表を行う。」

#法律家の参加の意義と役割を明確にするべきである。故意のもののチェックや改ざんの有無など、刑事に相当するような事例のチェックのみのオブザーバーであるべきであり、過失の有無などについて言及するべきではないし、そのような権限を与えては純粋な医学的医療的な評価は下せなくなる。
「再発防止に向けて臨床経過を振り返って今後の医療の安全の向上のために取り得る方策について提案する場合は、その旨を明記した上で記載する」とあるが、その場合に報告書が裁判に活用されればたちまち業務上過失致死の要件を満たすように解釈することは法律家にとってたやすいと思われる。

「地方委員会(調査チームを含む。以下同じ。)には、医療機関への立入検査や診療録等の提出命令、医療従事者等の関係者からの聞き取り調査等を行う権限を付与する。
ただし、医療従事者等の関係者が、地方委員会からの質問に答えることは強制されない。」

#医療機関への立ち入り検査などの調査権限を与えることは、行政の権限を強大にするばかりでなく、医療者同士が疑心暗鬼になるような制度であり、あくまで強制的な権限付与ではなく協力とするべきである。地方委員会からの質問に答えることが強制されないのは、調査結果が裁判に利用可能であるために憲法38条に配慮したものと考えられる。事故調査結果から前述のように業務上過失致死罪の構成要件を満たすことは容易であることからも、積極的な医療者の協力による原因究明、再発防止の趣旨に反するというジレンマに陥ったシステムとなっている。例をあげるまでもなく、世界的な流れは、「機密」として扱うかわりに原因究明、再発防止に積極的に協力するようにするというシステムであり、厚労省案では明らかに先進国の潮流からははずれており、裁判への証拠の利用が再発防止と原因究明を妨げるというジレンマを呈している。

捜査機関への通知
(39)〜(40)
#故意、改ざん、隠蔽は当然通知すべきである。重大な過失は前述したとおり、結果の重大性ではないと明言しつつ、例示された誤注射の事例などは結果の重大性であり、定義が不十分である。また、「その他悪質な事例」となっているが、警察検察の考える悪質の範疇は広いと考えるべきである。ここで公判中である個別事例を挙げるのははばかられるが、福島県立大野病院事件に関して検察は「悪質」といっており、現在の医療界の大半の認識とは大きくずれていることを示している。

「標準的な医療行為から著しく逸脱した医療であると、地方委員会が認めるものをいう。また、この判断は、あくまで医療の専門家を中心とした地方委員会による医学的な判断であり、法的評価を行うものではない」

#医学的な判断あり、法的評価ではないのであれば、地方委員会は医師のみとするか、法律家の役割をきわめて限定的にするべきである。なぜなら、過去の判例からも医療側は法律家のいうところの「標準的な医療行為」の科学的根拠の希薄さや恣意性に対して不信感があるからである。

3.
#行政の指導や処分などの行政介入の権限が拡大する以外は、民事、刑事は従来と手続き上なんら変わりはない。事故調の機能が十全に果たされれば、刑事は謙抑的な運用になるというが、刑事は本来謙抑的であるものであり、また、いままでもそうであったといっているので、要するに今までと変わらないといっているに過ぎず、事故調の機能が仮に目に見えて有効に働いたと仮定しても、謙抑的になる可能性があるだけで蓋然性はない。また、すべてを指摘できたわけではないが、今まで述べてきたように問題はいまだ山積しており2,3年後の発足という短い準備期間では、有効に機能を果たすシステムが構築されるかははなはだ疑問である。

#提案:一省庁で扱える事項ばかりではないが、
事故原因究明・再発防止を目的とした組織では、その結果を機密として扱うこと。

刑事罰である業務上過失致死症罪を複雑系適応型の組織における専門的な分野の個人に適用することは世界的にも無理があることが指摘されている。システムエラーやヒューマンエラーに対してのリスクマネージメントシステムの確立の促進。
刑法211条を他業種も含めてグローバルな観点から検討して、現代社会においてリアリティのある他業種とも整合性がとれるようなものに時間をかけて見直すこと。

医療者のプロフェッショナルオートノミー(ピア・レビューや再教育、自律処分)促進を奨励すること。

事故被害者の無過失補償を充実させること。
院内メディエーターの配置や対話型ADRの促進など、当事者間の対話を重視すること。

必要な財政措置をしっかり取っていただくこと。

最後に、
いたずらに大きなシステムを構築しても、機能を果たすかどうか実行可能性からの検討を厳しくしなければ、機能不全に陥った場合には致命的な結果となります。まだ、この試案について十分理解している医療者は多くありません。一般市民においてはなおさらです。十分な周知と議論の呼びかけが必要かと思われます。
クリティカルなことばかりを申し述べましたが、問題点は出来るだけ始めに認識して対処しておいたほうがいいと思います。次の議論がなされ、大幅に改善された4次試案のパブリックコメントが募集されますことを期待しております。

三重大学 木田博隆


投稿者: webmaster 投稿日時: 2008-4-11 16:37:54 (1221 ヒット)

慶應義塾大学出版社 教育と医学
http://www.keio-up.co.jp/np/inner/30654/


かんだばし・こうじ
東京日立病院内科医長。NPO法人メディカルコンパス事務局。専門は、血液・腫瘍内科。東京大学理学部数学科・医学部医学科卒業。東大病院・都立府中病院・都立駒込病院等を経て現職。著書に『研修医・看護師・薬剤師のためのまちがいのない抗癌剤の使い方 第2版』(共著:2005年三輪書房)、『癌化学療法』(共著:2004年照林社)

現在医療分野において様々な問題が噴出してきています。なかでもここ1年くらいで特徴的なのは医療ミスや薬害をはじめとする医療側の問題のみならず、他の今まで語られなかった側面も注目されるようになったことです。すなわち医者の過労や、医者不足で医療を受けられなくなった患者の出現、医療者に対する患者からの暴言・暴力、軽症なのに不要な救急車を呼ぶ患者の存在などです。

元々のきっかけとなったのは1999年に相次いで起きた横浜市立大学病院の患者取り違え事件と都立広尾病院の点滴ミス事件でした。前者は肺を手術する予定の患者と心臓を手術する予定の患者が取り違えられて手術されたという事件であり、後者は入院患者が誤って消毒薬を注射されてしまい死亡、さらに事故隠しをしたとされる事件です。いずれも関与した医師・看護師が有罪判決を受けています。それ以前から問題になっている薬害エイズの問題もあいまって何か日本の医療機関はとんでもないことをしているのではないかという空気が支配的となり、医療ミスに関するマスコミ報道が爆発的に多くなりました。それに伴って医療訴訟の数も1.5倍に増加しています。
またバブル崩壊の爪あとが残り、デフレで苦しんでいる日本経済において開業医は平均的なサラリーマンの5倍の「収入」があることが再三クロースアップされ、聖域なき構造改革の旗の下、医療費を引き下げるべきだという議論が主流になりました。
こうやって、医者はろくに働きもせずに金儲けばかりしている、治療レベルは低いのに高い医療費を取ってベンツを乗り回す、医療ミスが多いだけでなくミスしても闇から闇に葬って患者に謝らない、裁判に訴えても身内同士でかばい合うため被害者は泣き寝入りを余儀なくされる、といった社会的イメージが形成されていったわけです。
これが今度は医療者の側に不満を募らせる原因となりました。
実は日本の医療技術は欧米諸国と比べてひけをとるものではありません。中でも胃癌の手術成績や新生児医療の成績などは世界のトップです。一方、日本の医師や看護師数は他の先進諸国と比べて圧倒的に少なく労働環境は苛酷です。産科や小児救急といった特に忙しい分野では連続36時間労働や、週100時間を超える労働が日常的に行われています。しかも現場を支える勤務医の給料は破格というほどには高額ではありません。国の医療費総額も先進国のなかでは最も低く抑えられています。
現場でのトラブル多発に加えこのような世間との認識のギャップが、医療者の間に自分達の仕事が正当に評価されていないという雰囲気をかもし出す土壌となりました。給料が高くなくとも現場がきつくともそこにやりがいがあれば人は働きます。結果がうまくいかなかった時に責められるのも覚悟のうちです。しかしやっていることが社会から認められていないと感じるときに過重労働や訴訟リスクに耐えて仕事を続けられる人は少ない。その結果重労働で患者との軋轢が多い科から順に医者が逃げ出すという状況になってきました。
このことの何が問題かというと、十分な医療を受けられない患者が徐々に出始めたことです。重労働で医師がいなくなると残った現場はますます重労働になる、その結果十分な説明や治療ができずに医療者と患者の軋轢がさらに多くなるといった悪循環が生じてきたのです。医者・看護師をはじめ現場の努力でなんとか保たれてきたのですが、いつか限界に来ることは必然でした。

その問題が大きく噴出したのが2006年2月の福島県立大野病院産婦人科医逮捕事件でした。同病院で帝王切開を受けた女性が亡くなったことに対し、手術を行った医師が業務上過失致死および医師法違反の容疑で逮捕起訴されたというものです。この事件が特異であったのは、医師の目からみてどこが業務上過失致死にあたるのか理解に苦しむ部分が大きかったことです。事件は現在も公判中ですが、きわめて稀で予期することも対処することも難しい病態に対して、主治医の行為が罪に当たるものだとは考えにくかったのです。この行為が罪に問われるならば、医者は自分達がやっている行為も全て結果が悪かったというだけで有罪になるのではないかという恐れを強く抱くようになりました。この事件を契機に産科医の減少は加速、各地の病院で産科が休止という状態になり、関係者の必死の建て直しの努力にも関わらず問題は大きくなりつつあるようにも見えます。
しかも問題は単に産科医療の範囲にとどまらないのです。産科は医療の各分野の中で最も脆弱な点を抱えていたために最初に危機が訪れました。しかし先に述べたような過重労働・訴訟の増加・世間との認識のギャップはある程度どの科にも共通しています。従ってこの事件はあらゆる科の医師の関心の対象となりました。産婦人科学会だけでなく、他科の医師を含む医師会、各種医師団体が次々と抗議や疑問の声明を出したのです。「この逮捕が正当化されるならばどの医者もリスクのある治療をしなくなる。過重労働の現場から逃げ出すものも増える。それは医療の恩恵にあずかれない患者が多く出てくることを意味する。決して患者のためになることではない」という主張がされるようになったのです。実際各地の病院で医師がいなくなったために診療を縮小せざるを得ないところが増え、住民が困るという事態が出現しました。これがいわゆる医療崩壊です。
ところが、先に述べたような現場は必ずしも世間は知りませんからこの医療崩壊自体が医師のモラルの低下と受け止める議論も出てきました。困っている患者がいるのに自分だけ楽をしたいと現場を逃げ出すのは医師としての倫理に反するのではないかというわけです。
こうやって現在の医療環境はきわめて緊張感をはらんだものになり、一種医療者と患者(あるいは世間)との対立ともとれる悪化した状況になってきています。

思うに、プロフェッショナルとしての医師集団にはこの悪化した関係をなんとか打開していく責任があります。そのためには大切なキーワードが二つあります。ひとつは情報発信であり、もうひとつは自律です。
情報発信、あるいは啓蒙といった方がいいのかもしれません。医学の進歩はあまりにも光の部分が大きかったためにあたかも万能であるかのような錯覚すら市民に与えかねない状況でした。そして人の多くが病院で亡くなるようになって死が身近でなくなったことも関係し、医療には限界があること、医療は本質的に危険な行為であること、といった基本的なことが忘れ去られつつあります。
これはひとつにはそう思ってもらった方が医療者にとって都合が良いということもありました。またひとつにはそんな当たり前のことをわざわざ言うまでもなく分かっているだろうという医療者の甘えもあったのかもしれません。しかし、医療が進歩して非常にリスクの大きい分野にまで踏み込めるようになってきたことに加え患者の自己決定権が重視されるようになってきた現在、あらためて医療が本来抱えているリスクというものについてもっと情報を発信していかなければなりません。
例を挙げます。白血病に対して骨髄移植という治療があります。テレビでは夏目雅子や本田美奈子の映像を使い、あたかもこの治療さえすればほとんどの方が治るような錯覚を覚えかねないCMが流れています。しかし実はこれほどリスクの高い治療も少ない。移植を行う条件にもよりますが最大で50%以上の方々が副作用で亡くなる治療でもあるのです。しかもそのうち何%かは移植さえしなければ治って普通に暮らせていた方であろうと考えられます。
そのような危険な治療が何故市民権を得られるか、医者が患者に勧めるかというと、白血病という命に関わる病では、移植をして治る可能性と移植をしないまま治る可能性とをトータルで比較すると前者の方が大きいからです。リスクを全て話した上で御本人に治療を選んで貰い、全力で治療に当たるのですがそれでも亡くなるかたも多いです。
骨髄移植はかなり特殊なケースですが、同様のリスクは大きさの差こそあれあらゆる医療につきものです。検査も含め医療は危険なものであり、医療を必要とするような事態はさらに危険なものなのです。このことを医療関係者は社会に説明していく責任があるのだと思います。これが情報発信です
もうひとつ説明しておかなければならないのは100点満点の医療をできる医者はいないということです。せいぜいが70点か、よくて80点の治療です。例えば先に述べた骨髄移植が不幸な結果に終わった場合、後から見ると必ず反省点が沢山出てきます。その中にはなんでこんな簡単なことに誰も気づかなかったのだろうという点から、また同じ状況なら同じ選択をしてしまうだろうなという点まで様々あります。どこかにフローチャートやマニュアルのようなものがあり、それに目の前の患者を当てはめさえすれば最善の治療ができるというわけではないのです。
治療がうまくいった場合でさえ振り返ると改善点はいくらでもあるし、90点の実力のある名医から見ればまずい行為ばかりしているということになるでしょう。そしてその名医ですら10点分の改善の余地があり、その10点の部分が患者さんの命を奪ってしまうことだってありえるのです。ですから医者から見ると過去のカルテには反省と後悔の材料がぎっしりつまっています。医者としての腕があがればあがるほどこういった反省点が多く出てくるようです。

このような話を予備校生や大学生に講演する機会があるのですが、彼らの頭脳には比較的すっきり入っていくようです。ですが、これがメディア関係者になると非常に話が通じにくい。前述の大野病院事件のとき、取材を受けたり同行したりということが何件かありましたが、「何故産婦人科医でもない皆さんがわざわざ抗議をするのですか?」「これが罪に問われるのであれば医者が逃げ出す、というのは患者に対する恫喝ではないですか?」といった質問を何回も受けました。なかでもある大手メディアの医療関係記者は「結局言っていることは医者は忙しいのだからミスをして患者が死んでも勘弁しろということですよね。それでは読者は納得しない」とまとめ、その認識の格差に大げさに言えば愕然とさせられました。

もう一つのキーワードである自律について述べます。プロフェッショナルの集団というのは、専門性の高さゆえに社会からその存在価値を認められてある種の活動を独占、特権的地位を占めます。また厳しい規律と倫理的規範をもって内部の統制と団結をはかり、これを同時に社会に対しては職業ルールを守ることの担保とします。これが専門家集団の自律といわれるものです。
ところがこのようなプロフェッショナルの集団というのはわが国においてはほとんど発展してこなかった。プロフェッションの代表とされるのは、聖職者・法律家・医師ですが、このなかで今の日本において厳密にプロフェッションといえるのは法律家だけでしょう。弁護士には弁護士会という自治組織があり、「品位を失うべき非行」があったときには弁護士資格の剥奪を含む厳しい懲戒処分をする仕組みになっています。残念ながら今の医療界にはこういった自浄作用が欠けている部分があります。
例えば最近リタリンという向精神薬を不適正に処方していたクリニックのことが問題になりました。覚醒剤に近い作用をもつため、ごく一部の病気にしか使ってはならない薬なのですが、そのクリニックでは安易に処方していたため多くの依存症患者を作り上げていました。またそうやって処方された薬の一部は遊びのために乱用されていたと見られています。
あるいは一部にあきらかに医療レベルの低い医師や、あまりにも標準的治療と違う治療を患者に説明しないまま行う医師、同じ医療ミスを反省のないまま繰り返す医師もいます。
本来このような医師は医療界の内部できびしく指導・教育し、医師免許停止を含む厳しい処分をするべきです。それは現場で働いている医師みずからが主体となってやらなければいけないことです。というのも医療行為が本当に水準に達しているかどうかは専門家でなければ適切に判定できないところが多く、同時にそのような医師をどう教育していくべきかについても専門家集団がもっとも適任であると考えられるからです。医療界において法曹界におけるような自浄作用が働かなかったことが社会からの不信を招き、結果として大野病院事件に代表されるような刑事介入を許してしまったという側面があります。
自律、すなわちプロフェッションとしての医師全体が自分達を律すること、これが今後ひとつの大きな課題になってくると思います。

こうやって挙げた二つのキーワード、情報発信と自律について、前者は比較的医療関係者の間で受けがよく後者はそれ以外の一般の方々には重要視されます。ですがこれらは車の両輪であり良好な医療環境を築きあげていくためには欠かせないものと考えます。
そこで今問題と考えていることのひとつに先にも少し触れたメディアのことがあります。我々が発信した情報を広く効率的に市民に伝えるためにはメディアの力を借りなければなりません。また医療者の自律にしても社会に対して見えるものでなければ意味がないので、メディアが重要になってきます。ところが従来の報道関係者には医療界の独善性や閉鎖性と戦い、患者や医療被害者を救ってきたという自負があります。その自負は正当なものではあるのですが、その結果我々が真剣に述べることもまっすぐに受け取ってはくれません。何か裏があるのではないか、医師集団が自分達の利益の為に主張しているのではないかと取られることも多いです。
それでもこの2,3年の医療崩壊とも称される期間に医療者の訴えが取り上げられることが多くなってきました。医療の不確実性の話のほか、無理難題を押し付ける一部の患者の問題、産科をはじめとする医療現場の過重労働、日本の医療費が先進諸国の中で最も安い方に属することなどです。そのひとつのあらわれが2006年、虎の門病院の泌尿器科部長である小松秀樹が朝日新聞社より出した著書『医療崩壊−「立ち去り方サボタージュ」とは何か−』です。この中で小松は医療の現場から逃げ出す医師の姿を描き、このままでは医療崩壊につながることを強く警告しています。数年前まではこのような本が大手出版社から出版されるということはありえませんでした。それまでも逃げ出す医師はいたのですが、彼らの多くは挫折感と幻滅が混じった感情を抱えて静かに立ち去っていっていました。一方で病院に残る医師にも彼らを敗残者とみる風潮すらありました。その中で現役の名医が、世間と医師との認識のギャップが医師の立ち去りと医療崩壊をもたらしつつあること論じたこの一冊は、論調の変化を感じさせるものとなりました。また2005年に創刊されたロハス・メディカルという患者さん向けフリーペーパーは首都圏の主要な大病院に配置されていますが、発行部数は徐々に増えて10万部に達しています。この雑誌も医療制度や医療問題に関しても比較的バランスの取れた記事が載せてあることが多いと思います。
このように医療者と世間との認識のギャップを埋める運動は色々なところで少しずつ進んでおり、これがやがてよりよい医療環境の形成に繋がっていくと信じています。

医療は危険で不確実で、しかも永遠に不完全な技術です。正しく使ってもなお人を不幸にすることもあります。またそれを取り扱う医師や看護師にも完璧は望めず、常にもっと上を目指す余地があります。ですがそれでも医療には価値があります。少しでも多くの人が少しでもいい医療が受けられる風土が形成されることを信じて筆を置きます。


投稿者: webmaster 投稿日時: 2008-4-11 16:33:21 (1266 ヒット)

2007年度 東日本地区−エンリッチ講座
・がん治療に関わって
 神田橋 宏治(内科医)
http://www.kawai-juku.ac.jp/bunkyo/index.html


投稿者: webmaster 投稿日時: 2007-12-4 0:03:05 (1316 ヒット)

                             2007年11月17日   

日本医師会の大罪

虎の門病院 泌尿器科 小松秀樹






国民と患者のため、医療の改善と向上のため、現場の医師による自律的な集団が必要である

厚生労働省は医師に対する全体主義的な統制を行う強大な力を手に入れつつある

過剰な統制は自律性を奪い、医療システムを破壊する

日本医師会の役員の一部は全ての現場の医師を裏切り、厚労省に加担した

いま、日本医師会に対し、現場の医師は自らの意見を明確に主張しなければならない

国民と患者には、自分達自身と家族のために、現場の医師を支援していただきたい



07年10月17日、厚労省は診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する第二次試案を発表した。その骨子は以下のようなものである。

1)委員会(厚労省に所属する八条委員会)は「医療従事者、法律関係者、遺族の立場を代表する者」により構成される。
2)「診療関連死の届出を義務化」して「怠った場合には何らかのペナルティを科す」。
3)「行政処分、民事紛争及び刑事手続における判断が適切に行われるよう、」「調査報告書を活用できることとする」。
4)「行政処分は、委員会の調査報告書を活用し、医道審議会等の既存の仕組みに基づいて行う」。

第二次試案は、この制度の検討会の座長で刑法学者である前田雅英氏の主張「法的責任追及に活用」(讀賣新聞07年8月14日)に一致している。法的責任追及という理念の実現が目的であり、これが現実に人々に何をもたらすのかを、多様な視点から考えた形跡がない。日本の刑法学はマルキシズムと同様、ドイツ観念論の系譜にある。理念が走り始めるとブレーキがかかりにくい。ここまでの統制が、医療に対して求められなければならないとすれば、他の社会システム、例えば、裁判所、検察、行政、政党、株式会社、市民団体などにも、相応の水準の統制が求められることになる。理解しやすくするためにこの状況をメディアに置き換えてみる。

1)報道被害調査委員会を総務省に八条委員会として設置する。事務は総務省が所管する。
2)委員会は「報道関係者、法律関係者、被害者の立場を代表する者」により構成される。
3)「報道関連被害」の届出を「加害者側」の報道機関に対して義務化し、怠った場合にはペナルティを科す。
4)行政処分、民事紛争及び刑事手続における判断が適切に行われるよう、調査報告書を活用できることとする。
5)ジャーナリストの行政処分のための報道懲罰委員会を八条委員会として総務省に設置する。報道被害調査委員会の調査報告書を活用して、ジャーナリストとして不適切な行動があった者を処分する。
   
厚労省医政局の幹部には歴史的視点と判断のバックボーンとなる哲学が欠如している。そもそもわが国の死亡時医学検索制度の貧弱さこそが問題なのだという現状認識すらない。このような異様な制度は、独裁国家以外には存在しない。独裁国家ではジャーナリズムが圧殺されたばかりでなく、医療の進歩も止まった。私は、自由とか人間性というような主義主張のために、過剰な統制に反対しているのではない。この制度が結果として適切な医療の提供を阻害する方向に働くからである。
システムの自律性が保たなければそのシステムが破壊され、機能しなくなる。「システムの作動の閉鎖性」(ニクラス・ルーマン)は、社会システム理論の事実認識であり、価値判断とは無関係にある。機能分化した個々のシステムの中枢に、外部が入り込んで支配するようになると、もはやシステムとして成立しない。例えば、自民党の総務会で市民団体、社民党、共産党の関係者が多数を占めると、自民党は成立しない。内部の統制は内部で行うべきであり、外部からの統制は裁判のように、システムの外で実施されるべきである。
そもそも厚労省は、医療を完全に支配するような強大な権力を持つことの責任を引き受けられるような状況にあるのだろうか。当否はべつにして、厚労省はメディア、政治から絶え間ない攻撃を受け続けてきた。政府の抱える深刻な紛争の多くが厚労省の所管事項である。憲法上、政治が上位にあるため、厚労省は攻撃にひたすら耐えるしかない。しばしば、攻撃側の論理を受け入れて、ときに身内を切り、現場に無理な要求をしてきた。現在の厚労省に、社会全体の利益を配慮したブレのない判断を求めることは無理であり、強大な権限を集中させることは、どう考えても危険である。
第二次試案発表から15日目の07年11月1日、ほとんど報道されなかったが、日本の医療の歴史を大きく変えかねないような重要な会議があった。自民党が、医療関係者をよんで、厚労省の第二次試案についてヒアリングを行った。厚労省、法務省、警察庁の担当者も出席した。日本医師会副会長の竹嶋康弘氏、日本病院団体協議会副議長の山本修三氏、診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業事務局長の山口徹虎の門病院院長(立場としては学会代表)が意見を述べた。私はめったなことでは驚かないが、この会議の第一報を聞いたときには、びっくりした。全員、第二次試案に賛成したのである。
なぜ驚いたか。07年4月以来、この制度について検討会で議論されてきた。ヒアリングに出席した山口徹モデル事業事務局長、日本医師会の木下勝之理事、日本病院団体協議会の堺秀人氏、の三氏は検討会の委員として、この間、議論に加わってきた。私自身、第二回検討会で意見を述べる機会を得たが、検討会では猛スピードで議論がすすめられた。議論はかみ合わず、かみ合わせようとする努力もなしに、多様な意見が言いっぱなしになった。8月24日に発表された「これまでの議論の整理」も、多様な意見が併記されていただけだった。
自民党の働きかけが、モデル事業、日本医師会、日本病院団体協議会の三者に、第二次試案に対し賛成か反対か態度を鮮明にすることを迫った。自民党の迫力に背中を押されて、三つの団体が賛成の機関決定をした。結果として、自民党に対し、大半の医師が第二次試案に賛成しているというメッセージを送った。
日本医師会はなぜ賛成したのか。前会長は、小泉自民党と対立した。現会長になって、自民党につきしたがうようになったが、それでも邪険にされつづけている。日本医師会の最大の関心事は診療報酬改定である。現在、診療報酬の改定作業が進行中である。厚労省の第二次試案に賛成することが、自民党を支えることになり、診療報酬改定で自分たちが有利になるとの期待があると考えるしか、日本医師会の行動を合理的には解釈できない。だとすれば、目先の利益を、今後数十年の医療の将来に優先させたと非難されるべきである。
よく考えると、日本医師会の行動が、目先の利益につながるのかどうかも疑わしい。自民党内にも、第二次試案に対する疑問の声はある。第二次試案の真の姿が、社会に広く理解されるようになったとき、第二次試案でよいとする説得力のある理由が用意できていなければ、日本医師会の信頼性が更に低下する。実際、一部の医師会役員は、執行部が第二次試案に賛成したことを知って激怒したときく。
私には、日本医師会が時代から取り残されているように思える。現場で働く開業医と議論すると、日本医師会の中枢を占める老人たちとの間に、越え難い溝があることがよく分かる。この危うい状況を本気で検証して、対策を講じないと日本医師会に将来はない。
現場の医師はどうすべきか。このままだと、医療制度の中心部に行政と司法と「被害者代表」が入り込み、医師は監視され、処罰が日常的に検討されることになる。この案に反対なら、それを示さないといけない。自民党の理解では、医師がこの案に賛成していることになってしまったからだ。モデル事業運営委員会、日本医師会の指導者、病院団体に意見を撤回させて、それと同時に、多くの医師がこの案に反対していることを自民党にも分かるようにしなければならない。学者は無視して、ここは、行動の対象を最大の政治力を持つ日本医師会の一部役員に絞るべきである。
第二次試案では、勤務医のみならず、開業医も厚労省のご機嫌を伺いながら、常に処分を気にしつつ診療することになろう。積極的な医療は実施しにくくなる。開業医と勤務医の共通の問題と捉えるなら、日本医師会内部で執行部に抗議をして撤回を迫るべきである。
しかし、第二次試案は開業医より、勤務医にとってはるかに深刻な問題である。第二次試案は主として勤務医の問題といってよい。産科開業医等を除くと、日本の診療所開業医は高いリスクを積極的に冒すことによって生死を乗り越えるような医療にあまり関与しない。勤務医の多くは、目の前の患者のため、リスクの高い医療を放棄できない。日本医師会には多くの勤務医が加入している。勤務医と日本医師会の関係が問題になる。端的にいうと、日本医師会が勤務医の意見を代弁してきたのかということである。勤務医は収入が少ないので、会費が安く設定されている。このためかどうか知らないが、代議員の投票権がない。発言権がないといってよい。それでも、日本医師会は医師を代表する団体であるとして振舞いたいので、勤務医の加入を推進してきた。「勤務医と開業医が対立すると、厚労省のいいように分割統治されるので、勤務医も日本医師会に加入すべきだ」という論理が使われてきたが、日本医師会は、常に、開業医の利害を代弁し、勤務医の利害には一貫して冷淡だった。最近、日本医師会の役員が、勤務医の利害を配慮してこなかったと反省を表明するようになったが、今回の問題でそれがリップサービスに過ぎないことが明白になった。どうみても、勤務医は「だしにつかわれてきた」と考えるのが自然である。
そこで勤務医のとるべき態度である。これは、日本医師会に抗議すれば済むような生易しい利害の抵触ではない。第二次試案に賛成か、反対かを確認するだけで、抗議する必要はない。生命を救うためにぎりぎりまで努力する医師を苦しめ、今後数十年の医療の混迷を決定づける案に日本医師会が賛成していることが確かならば、すべての勤務医は日本医師会を脱退して、勤務医の団体を創設すべきである。
開業医と勤務医の大同団結を説く声をよく聞く。従来、その立場をとってきた友人が、今回の日本医師会の行動をみて、医師会に期待することの限界を感じたと連絡してきた。そもそも、勤務医が医師会の第二身分に据え置かれるような形が続く限り、人間の性質上、勤務医が本気で医師会と協調することはありえない。勤務医の組織ができて初めて、協調の基盤ができる。今では医師会の理不尽なルールそのものが、医師会の正当性を阻害し、開業医の利益を損ねている。
まず実施すべきことは、勤務医医師会の創設と、患者により安全な医療を提供するための、勤務環境改善を含めた体制整備である。この中には、再教育を主体とした医師の自浄のための努力も含まれる。自浄作用がないような団体が、自分の利益を言い募っても、周囲には醜く映るだけで説得力はない。臨床医として活動する医師の登録制度を自律的処分制度として活用している国が多い。全ての勤務医と一部の開業医だけでも、なんとか工夫をして、国の力を借りずに自浄のための制度を立ち上げたい。これは国民に提供する医療の水準を向上させ、かつ、医師が誇りを持って働くことにつながる。


投稿者: webmaster 投稿日時: 2007-4-23 14:38:14 (1601 ヒット)

意見

診療関連死の届出制度のあり方について
診療関連死とは?
診療に関連した死亡を診療関連死という場合、入院中、通院加療中あるいは救急外来での処置中などにおこるすべての死亡事例、つまり、ほとんどすべての死亡事例を対象とすることになりかねない。言葉の定義としては、厚生労働省の1991年の研究班による異状死、つまり、「確実に診断された内因性疾患で死亡したことが明らかである死体以外のすべての死体」と解釈するべきであろうか?これは、1994年の医師法21条に対する日本法医学会のガイドラインによる「診療行為に関連した予期しない死亡、およびその疑いがあるもの」で「診療行為の過誤や過失の有無を問わない」という定義とほぼ同じと考えられる。また、2000年に厚生省(当時)国立病院部が医療過誤による死亡もしくは障害が発生した場合、速やかに所轄警察署に届けることを指示している。過誤に限定した一方、死亡のみならず障害のケースも届け出るようにした。2002年に公表された外科学会のガイドラインは、医師法21条の趣旨でもって診療行為に関連した患者の死亡の届出を行い、解決を図ることには無理があると指摘しつつ、刑事責任に問われる可能性があるとしても重大な医療過誤やその疑いが強い場合は、黙秘権を放棄しても医師に求められる高い倫理性を考慮して自発的に警察に届け出ることが望ましいとした。このようなことからも診療関連死は医師法21条をめぐる問題に直結している。いま、厚生労働省はどのような立場をとっているのかを明確にするべきと考える。以上は、今回の課題と検討のひとつの大きなテーマである。

医師法21条の問題について
医師法21条は明治期から存在し、内容的には変わっていない。内容的には、殺人、傷害致死、死体損壊、堕胎の犯罪の痕跡など、明らかな犯罪性のある事案を想定していたものであり、司法警察上の便宜に協力するという趣旨のものであったし、現在もそのはずである。明らかな犯罪を想定している法律である以上、それにもとづく届出はながらくの慣習からも司法警察は即、刑事性の観点から介入するということになり、ここに拡大解釈による善意の届出の落とし穴がある。医療事故などで過誤による死亡や障害が問題となっているならば、憲法で保障された人権としての黙秘権や不利益供述の禁止などを排してまで想定していなかったものを拡大解釈するのではなく、新たに21条の改正を含めて現状にあった法整備を急ぐべきである。拡大解釈の背景には、度重なる医療事故などによる医療界への不信、情報の非対称性、密室性などの壁、医療安全への積極的な取り組みがよく見えなかったという事情があることは肝に命じなければならない。しかし、現状は変わってきていることも確かである。

以上より、
医療従事者は高い倫理性を保持し、医療の透明性に積極的に努力すること

医師法21条を速やかに現状にあうように改正するべき

医療関連死は新たな調査組織に届け出るようにするべき

診療関連死の死因究明を行う組織について
新たに死因究明を行う組織を検討する意図は、厚生労働省案の策定の背景で述べられているように「患者にとって納得のいく安全・安心な医療の確保や不幸な事例の発生予防や再発予防などに資する観点から」であるから、その文脈からすれば、死亡に限定する必要はなく、有害事象をひろく報告の対象としてよいと考える。これには報告者の権利保護、情報の保護が必要である。すでに、ヒアリハット事例などでは病院機能評価機構などが積極的に取り組んでいる状況であり、ノウハウを学びつつ、病院機能評価機構では調査権限などの面で限界があり、届出も任意であるため、新たな究明組織には、届出の範囲を明確にしつつ調査権限を持たせ、裁判外紛争処理の機能も持たせるか、あるいはそのような組織も併設させるべきである。調査の開始は、届出とは別に、医療サイドや患者から調査の要請があった場合とする。それ以前に、まず、不毛な医療紛争を未然に防ぐためにも、院内で治療が始まったときからの手当てが大切となる。今までの医療裁判から得られた教訓は、真相究明にも再発防止にも貢献せず、どちらが勝っても憎悪を煽るだけで、両者に負担を強いることが多いということである。医療従事者と患者の関係を良好に保つためには、医療者は高い倫理性を発揮し、インフォームドコンセントなどを実践していく必要がある。また、医療相談室、MSWの役割に期待し、患者アドボカシーの導入や医療メディエーターなどの配置なども有効であろう。法的には契約とされることが多い医師・患者関係を意識的に信任という形をとるパートナーシップとして捉えなおす必要があるし、法曹界もそのような方向で認識を変えるべきである。また、院内の当事者間の紛争処理システムでは不幸にして合意解決がなされなかった場合は、究明組織の調査となるかと考えられるが、そこには現場をよく知る熟練した専門医と病理医、また、AIなどの利用も考えて放射線医などの参加も必要となろう。また、加えて、看護師、薬剤師、その他多くのコメディカルの方々、医療に詳しい弁護士の参加も必要と思われる。加えて、最終結果を検討する折には一定の条件を満たした患者代表などの参加も考えられる。
以上のようなことを具体的に策定し速やかに現実化させるためには、厚生労働省を中心に、財務省、法務省、警察・検察などの協力のもとに、国として「予算、人材(提供と育成)、手間」をさくという覚悟が必要になる。医療崩壊が叫ばれる中、医療崩壊の大きな一因と考えられる医療紛争や刑事介入について、解決の筋道を立てるためにさらに人と資金と時間が必要という皮肉な状況ではあるが、そうしないと早晩、医療は崩壊する。

まず、医療者と患者との信頼関係を良好に保つ工夫を行い、院内当事者同士が合意解決できやすい道筋を事前に用意しておくべき(納得の問題)

究明組織は合意解決に至らないもので訴えがあれば調査を行い、その結果に基づいて裁判外紛争処理を同時に行うか、または、そのような組織と併設されるべき

医療事故の原因究明の目的は個人の責任を追及することではなく、再発防止に生かすこと

事故原因究明機関、裁判外紛争処理機関などを設立し、専門の人材も育成、確保するためには、相当な「予算、人材、手間」を手当てする必要がある



「人は誰でも間違える」
これは、アメリカの医学研究所が1999年に出した報告書のタイトルであるが、その次には、
「しかし、間違いを防ぐことは出来る」と続く。
現代の高度専門化した医療では、あらゆるフェーズで作業が複雑化し、また、チーム医療が実践されているため、病院としてのひとつの大きなシステムの中で治療行為が行われていると考えるほうが自然である。このため、医療事故が発生した場合、その最終段階で見える形で責めを負いやすい医師個人や看護師個人をいたずらに処罰しても、原因究明や再発防止になんら寄与しないことは明白である。医療の質・安全の向上を考えるとき、複雑なシステムで遊びがないという事故の起こりやすい医療というシステムに対して、複雑系適応型システムと捉えて対策を立てることが急務であるし、現在、研究され、実践されつつある。その成果に期待したい。

最後に、このようなコメントを常に受け付けていただけるように希望いたします。

平成19年4月20日
NPO法人メディカルコンパス 事務局長 木田博隆


投稿者: webmaster 投稿日時: 2007-2-26 12:18:11 (1501 ヒット)

新聞報道等でご存知とは思いますが、アドバイザーの加部一彦先生が翻訳メンバーに加わって、以下のプロジェクトが動いております。ご紹介まで。国家間の医療をとりまく状況は異なりますが、相互信頼回復について示唆に富んだ内容です。


真実説明・謝罪普及プロジェクト
http://www.stop-medical-accident.net/


投稿者: webmaster 投稿日時: 2007-2-26 11:40:30 (1464 ヒット)

アドバイザリーボードのお一人、江原朗先生の意見が先見創意の会のオピニオンに掲載。以下、ご参照ください。
http://www.senkensoi.net/opinion/index.html

一部、抜粋。

不幸にも、平成17年には62人の母体が死亡している(厚生労働省データベース >>)。

 しかし、その70倍に相当する約4000人の母体は、産婦人科医の必死の治療で生還していることになる。

 産婦人科医をたたくのではなく、その努力を評価してもいいのではないだろうか。


投稿者: webmaster 投稿日時: 2007-2-26 11:30:42 (1570 ヒット)

http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20070224ddm010100183000c.html

反響特集に神田橋氏の意見の一部が掲載されました。
マスコミの責任について言及している部分を載せたことは、一定の評価に値すると思います。


◇市民の認識とのギャップ埋める報道を−−東京都文京区、内科医、神田橋宏治さん(39)

 人は誰でもミスをするのだから、医療ミスを少なくするにはどうしたらいいのかという議論をすべきだったのに、マスコミは医師の資質に話を持っていった。これが医療クライシスを招いた一因だ。日本の医療費は安く、医療水準も高いということも正確に伝えなかった。医療関係者と市民の認識のギャップを放置したため市民の不信感が増大し、危機を引き起こした。そのギャップを埋める報道を期待する。
ほか、先日ご講演いただいた小松秀樹先生のコメントなども載っております。


投稿者: webmaster 投稿日時: 2007-2-8 11:11:34 (2426 ヒット)

事務局の神田橋宏治医師の私見
(私見として提出されましたが、HP上での公開の同意を得ております。)

はじめまして。神田橋 宏治ともうします。内科医です。

● いわゆる医療崩壊、医療クライシスについて。
ご指摘のとおり多くの医師が特定の医療現場を逃げ出し、その道に進まなくなってい
ます。
なかでも地域医療や、救急・産科であり、公立病院の勤務医から多くの医師が逃げ出
しています。
その理由としては(1)待遇の悪さ、(2)民事・刑事の訴訟リスクの大きさ、(3)患者や
家族とのトラブルが大きい。ですがその根本にあるのは、社会の医療に対する過大な
要求といっていいでしょう。それは最近話題の学校の先生に対して理不尽かつ過大な
要求をする親と通底するものがある(そして2000年頃からのマスコミ報道がそれに拍
車をかけてきたと思う)。

● おっしゃるように待遇が悪いことそれ自身は医者が決定的に逃げ出す理由として
は不十分です。
例えば千葉の旭中央病院や亀田総合病院はいずれも仕事が厳しいので有名ですが、卒
業したての研修医には特に人気があります。給料が安くとも、仕事が忙しくとも、や
りがいさえあればその道を選ぶ人は一定割合でいます。
ですが、その努力の結果が理不尽と思える非難や判決につながるのであればそんな仕
事にはつきたくない人がほとんどです。


● マスコミ特に貴紙の従来の報道について。
1999年に「To err is human(邦訳:人は誰でも間違える)」が出版され、また患者
取り違え手術事件をはじめとしたいくつかの事件が問題になり、日本で医療ミスが多
発しているとんでもないことだという論調が社会で支配的になりました。
なかでも貴紙はミスを犯した医師を責め、民事責任があれば医師の免許の取り上げな
どの処分も考えるべきだと読める論陣を張ってきました。(『医療事故が止まらな
い』)。
本来ならば、その時点で人は誰でもミスをするのであるから、そのミスの原因は何で
あるのか、それを少なくするにはどうするのがいいのかという方向へ議論を持ってい
くべきだったと思われますが、比較的安易に医者の資質や医局の閉鎖性のほうへ話を
持っていってしまった。それが医療クライシスの一因です(主因だという説を唱える
医師もいます)


● 日本の医療費が国際比較で安いことなどは既に1990年代半ばに二木立らが指摘し
ています(『世界一の医療費抑制政策を見直す時期』)。今でこそ漸く日本の医療費
が国際比較で安いこと、日本の医療水準が高いことは一般常識の範囲に入ってこよう
としていますが当時は一部の医師や研究者、医療政策に携わるもの以外誰も知らな
かった。
最近まで日本の医療費は世界で一番高く、またレベルもきわめて低いと思っておられ
る方が多くいらっしゃいました。これなどもメディアが日本の医療の現実を正確に伝
えてこなかった結果だと思います。
今回の特集は非常によいできだとは思いますが、メディアの責任についてまったく触
れていないところに限界を感じます(河北新報紙はお産SOSという特集を行っていま
すが、そこでは「反響特集」という形でわずかではありますが、従来の報道への疑問
をきちんとかいてあります(1月25日))

● これからの医療について
いろんなボタンの掛け違えがあって、医療関係者と非医療関係者の間に医療というも
のや今の日本の医療の実態についての認識のギャップが非常に大きくなってきていま
す。
このギャップを放置してきたことが医療に対する市民の不信感を増大させ結果として
医療の危機を引き起こしているというのが僕の認識です。
すなわちこれからはそのギャップを埋める作業をしなければいけない。そのためには
メディアの力が非常に重要となります。医師も目の前の患者のことだけでなく医療全
体の機器を見て声を上げはじめています。そういった団体も増えてきました。大事な
のは会話です。
何時間でも何十時間でも現場の医師と会話してみてください。そして医療者と非医療
者の間のコンセンサスを作っていく、その作業は新聞にしかできないことですしその
意味で貴紙には非常に期待しております。


● なお僕は東京都立駒込病院化学療法科の医師であるとともにNPO法人メディカル
コンパス事務局も務めていますが上記の意見はいずれの団体の意見とも無関係で、僕
個人の意見であることを申し添えます。


投稿者: webmaster 投稿日時: 2007-1-31 9:59:14 (2446 ヒット)

毎日新聞社会部「医療クライシス」係 御中

はじめまして。

わたしは10年間神経内科臨床に従事し、現在、公衆衛生学教室助手を務めております木田博隆と申します。また、内閣認定非営利活動法人メディカルコンパスの事務局長も務めております。以下、「医療クライシス」係さまが、ご意見を募っておられますので、貴社の医療報道全体を含めて、メディカルコンパス事務局としての意見をとりまとめました。ご一読いただけましたら幸いです。

まず、貴社のこれまでの医療報道の姿勢についてですが、これは多くの医療関係者から批判のメールや手紙があったことと思いますので、中傷合戦になっては意味がございませんので、ここでのご指摘は控えます。

貴社に限らず、一般論としまして既存のマスメディアの問題点は、「大衆迎合」「センセーショナリズム」「バランスを取るためのダブルスタンダード」「組織としての自浄作用のなさ」「裏づけの乏しい情報の垂れ流し」「発行部数至上主義」「広告パトロンへの無批判」「社会的ニーズがある危険な部門への取材の回避」など、あげればきりがございません。

ご承知のとおり、昨今、ITが身近なものとなっております。ブログジャーナリズムなどが囁かれ、市民記者の登場、村上龍氏が発行されているJMMに見られるようなマスメディアの一方的な情報発信に対する不信と苛立ちが募る一方であります。つい最近でも不二家を居丈高にたたいていた矢先にフジテレビが捏造を行い、それに対する批判が燃え上がっていることはそれを端的に表しております。紙媒体としては、必ずしも成功していないとしてもizaのように産経新聞社(そのものではありませんが)が双方向性のブログジャーナリズムとの融合ともいえる実験を開始したこと等、批判はいくらでも可能ですが一定の評価に値する試みも出ている状況です。

専門外のメディア論をここで行うつもりはありませんが、そのような状況を前提としまして、
紙媒体中心の貴社の今後の社会的な在り方が問われているとともに、われわれ医療者もともに構造的問題を抱えているということを相互に確認したいと思います。医療側の構造的問題点の
改善につきましては医療側の自助努力とともに厚労省をはじめ、マクロの制度設計に関わる部門、組織、人物の見識が問われるでしょう。一方、患者さん、医療者ともに信頼し合えて納得のいく医療を作るためにも、貴社を始め報道の影響力に対する期待とそれに答える責任は非常に大きく、どのような役割を演じることがいいのか、長期的なビジョンに立って医療報道を進めていただきたいと思います。

いたずらにセンセーショナリズムに訴えても、物事は解決するどころか、多くの日々黙々と医療を行っている善意の医療者を傷つけ、患者さんとの信頼関係を壊すだけです。過去の一時期、そのような報道手法しか取れない時期やそれが一定の社会的に貢献する場面もあったとは思いますが、現在、白い巨塔は砂上の楼閣となり、財前先生もいなければ、また、一方でドクターコトーやブラックジャックによろしくの主人公のような研修医などは漫画の中でのみ存在しております。ほとんどの臨床医は「医療クライシス」が叫ばれている今日も、黙々と現場で患者さんの治療にあたっております。

貴社に期待することは、ステレオタイプな医師像にとらわれた報道姿勢、名医絶賛報道と医療事故報道の間にある明らかなダブルスタンダードをやめていただきたいということ。今日取り上げた名医が明日逮捕されてもおかしくないし、過労死してもおかしくない、というのが現状です。ネタが増えてありがたいということであれば、 もう言葉はありませんが、このようなご意見を差し上げること自体が貴社に期待しているということです。

われわれは制度問題を始めとしまして、可能な限り正確な情報提供をさせていただくつもりです。今後貴社を始め、マスメディアの方々とも相互理解のうえで、医療をよりよい方向へ向かわせることが出来るようにしましょうではありませんか。そのために貴社に期待することといいますと、まず、現在の医療の状況を出来るだけ客観的に正確なデータに基づいて把握した情報を吟味のうえで国民に提供することと、さらに並行して市場原理至上主義的社会における医療福祉のとらえ方、死生観の問題、医療のみならず自然への不確実性に対する洞察、謙虚さの回復、つまるところ、理念や倫理に関わる問題をすり合わせることが重要で、それがあって始めて制度設計も可能となるでしょう。そこがしっかりしなければ、財源の話、制度設計の話は不可能でしょう。厚労省をはじめ官庁はおしなべてデータの開示に消極的であり、外部からの評価ができにくいこと、医療現場サイドが現状をお伝えしてこなかったこと、記者自身の不勉強などが記者クラブでのお役所の発表を鵜呑みにして垂れ流すという行為につながっているのかもしれません。

「医療クライシス」につきましては、まだ、連載中ですので、連載終了後に、あらためて、記事の内容についてご意見を差し上げます。

患者さん、ご家族、医療者、書かれた記者、すべての国民にとって有益な内容で終了されますことを期待しております。医療崩壊は待ったなしですが、解決策の提示は早急には困難でしょう。まず、問題点をあぶりだして共有すること、真摯に国民のみなさんが受け止めるべきことは受け止めることが必要とおもいます。

津波は海の向こうがすこし波立っているなと思ったときには、ほとんどのひとが逃げ遅れます。
医療崩壊という津波はもう勢いを増して海岸に向かっております。
とりあえず高台に避難させることが出来るのは、あなたがたメディアであり、責務でもあると
思います。


平成19年1月26日 メディアカルコンパス事務局
         (文責 木田博隆)


(1) 2 »


. .